進級児も新入園児も園での生活に段々と慣れて、つい先日も「入園当初はあんなに登園を渋っていたのに今はもっと遊びたいと、降園を渋ってぐずっている」とひよこさんのお母様にお聞きしました。段々と慣れてきたこの時期に遠足や参観日が始まりました。担任の先生から日頃の園での様子を聞いて、我が子の違う側面を垣間見てちょっとびっくりすることもあるのではないでしょうか。子どもを育てていると子どもの気持ちを受け入れることと甘やかしの違いで悩むことがよくあります。自分の対応(声掛け)はこれで良かったのだろうかと。
全日本幼児教育研究機構の機関誌に興味深い記載がありましたので紹介をさせていただきます。
「他の母親から子どもを甘やかしすぎると言われた。何をどう対処したらいいのかわからない」という一人息子を育てるお母さんからのご相談があったそうです。
子どもを慈しんで育てる、これは誰しも正しいと言います。また、3歳くらいまでに親や親しい大人と愛着関係を強く結ぶことは何をおいても肝心、これも本当です。このような共通の価値観は何となく共有されているのですが、かわいがる、慈しむ、受容するなどの抽象的な概念を我が子の育ちに重ね合わせ、適当な判断をするのはことのほか難しいようです。結果的にかわいがりすぎて「甘やかし」の状況になるか、「自立させたい」との思いが強すぎて甘えを受け入れない対応になってしまうこともあるでしょう。当たり前のことではありますが第一子の場合、この調節がわからない方が多くいます。
甘やかされた子どもと甘えられなかった子ども、両極端なように見えますが、意外なことに成人した姿に共通する特徴があります。「他人への依存度が高い」です。いずれも自立することが阻害され、誰かに依存していないと安心できないので不安になります。わがままを主張する子どもに対して、泣かすのはかわいそう、泣かれると長引くので面倒くさいなどの理由で言うがままにしいているとします。この状態が日常となりますから親と自分と自分の欲求が一体化し、親も子も共に依存しあう一体感が当たり前となってしまい、将来的に自立(律)が阻害されるわけです。思春期以降に起こる家庭内暴力もこれが原因の一つと考えられています。
子どもは自分がわがままを言っていることが理解できていませんからもちろん罪悪感はありません。加えて大人が壁になって遮らないために簡単に思いが通ってしまいます。本来はダメなことはダメとしっかりと壁になることで、不本意から子どもは葛藤し悔しがります。悔しがりぐずる姿をみているのは辛いものですが、ぐずる子どもを受容する「大人力」が試されます。子ども側は壁を乗り越える努力や親の機嫌の様子を見て交渉したり、抵抗することで鍛えられて育っていきます。
親側がこのような壁になる対応を気にかけると、自分と他人を切り分けられない未分化な段階を経て、徐々に自分と親や他人との考えが違っているという分化が訪れ、自己中心性から脱却していきます。そして、場面や人に応じて我慢する力=自己抑制力や持続して努力する育ちが促され、社会で適応し生きていくことができるのでしょう。3歳くらいからの幼児に集団生活が意味を成すのは譲ってくれない周りの子どもによって壁を経験するからです。「貸して~」といっても「今使ってるからダメ!」と拒否され喧嘩したり大泣きしたりといった経験が大切なのです。まさに今子どもたちは毎日の遊びの中で、このようなやり取りをしています。
今も園庭で子どもたちが楽しそうに走り回って遊んでいます。五感を使って水遊びや泥遊びに興じたり、一生懸命に虫取りをしています。安全に遊ぶ、お友達の嫌がることをしないなど集団生活のルールを守りながら社会性や協調性が養われる場として幼稚園はあります。友達と遊ぶ中で思い通りにならないことや壁をたくさん経験し、心身ともに健やかに成長するお手伝いを先生たちとしていきたいと思っています。
園長 木元佳代子(2024年5月のこうがやだよりより)